No.3 子供の頃
産経新聞の記者さんがお見えになったとき、自分の子どもの頃の話をちらっとして色々な事を思い出しました。


まずは父の関係のこと・・・秋田県生まれ秋田県育ち、政治家崩れぽい父と体の弱い母の元で育った父は、私がいうのもおかしいのですが、とても理論的で博学で理数系。本当に頭の良い人だと尊敬します。そんな父方の家系は、みな大なり小なり「霊感」という物があり、非科学的なことを信じないであろうはずの父も、ご多分にもれず不思議なことがありました。
子どもの頃は突然「昨日従兄弟が枕元に立ったから本家に電話しろ」などと言い出し、母が半信半疑で電話すると、従兄弟が危篤状態だったなどという不思議なことが後を絶ちませんでした。
親戚の中には神様にお伺いを立て、そのお声を人にお伝えするお仕事をしていた人までいました(祖母のお姉さんで私がおばさんと呼ぶ人です) その人の竜神様のお話などは、子供ながらに「日本昔話みたいだ〜」と感じたものでした。


変わって母の方は東京生まれの秋田県育ち、事業家の父と厳格な母の元で育ち「霊感」というものとはほとんど無縁。そんな母なのに、結婚後の自分の名前の画数をあまりにも気にしすぎて、異常なほどの情熱で姓名判断に没頭しました(この熱中ぶりも尊敬に値すると思います)。
子どもの頃から「名前は大事なのよ、簡単でいいからお名前くらいはみられた方がいいのよ」などとよく言いました。
普通のお家では考えられない数の姓名判断の蔵書・・・。小学校の頃からまじないのように「内閣13は・・・」などと唱えられて育ち(笑)それが占いだなんて全く知らない状態ですり込みが行われていたらしく、テレビなどで人の名前を見ると、画数を数えるへんてこな癖までついてしまいました。


そんな両親のもと秋田県に生まれた私は、子どもの頃と20歳〜26歳くらいまでの間に神秘的な体験をしたのを覗けばとくに大きな霊象はなく、時々オーラと言われる物のような光が見えること以外に何の変哲もない普通の人です。


そういえば子どもの頃、習い事の帰りに「UFOが出たから迎えに来て欲しい・・・」とよく電話で母に懇願していました。現実的な母は決まって 「馬鹿なことを言わずに早く帰ってきなさい!」 と叱るのですが、私の目には確かに見えていました。ピンク色に光るそれが何か分からず、近付こうとすると怖くて仕方がなくなり当時流行のUFOに違いないと決めつけていましたが、未だにそれが何かは分からずじまいなのです。後で父から、「自分も子どもの頃同じような物を見たことがある」と聞かされたときは内心かなりホットしました(父の見た物はひょうたん型のピンク色の発行物体だったのだそうです)。
そんな父はとても仕事が忙しく、何かの相談や打ち明け話をするのがほとんど母だったので、自分で体験した不思議っぽい話はその場で物の見事に却下され 「そんな話、人に話したらおかしな人と思われるからやめなさい!」と注意される始末でした。


又ある時、仲良しのお友達と約束して銭湯に行く途中、真っ白なお髭の真っ白なおじいさんが道ばたでニコニコしてしゃがみ込んでいたので、友達に「あのおじいさん、神様みたいだね」と言うと、見えていなかったその子から気味悪がられ、後でその子のお母さんから母に「うちの子が、1人でトイレに行けなくなるからおかしな事を言わないように注意して下さい」と言われてしまいこっぴどく叱られたこともありました。


こういう話しは話せば話すほど、その人間を胡散臭くさせてしまい、人間性すら疑われる・・・。母はそれを心配してくれていたのかもしれませんね。人に話すのがとても怖かった。そんな事話したら頭がおかしいと思われると信じていました。


占い師になってはじめて、これまでのような環境が良かったと肯定できるようになりました。


人の名前をみると「何でやねん・・・」と思いながら画数を数えていた事も、無駄ではなかったようです。他の職業なら変な人で終わっていたかもしれません(笑)。
本格的に易学の勉強をするまで「占いは信用に値しない物。遊びの範疇で楽しむ物。どこかオタックッポイもの」 と決め付けていました。統計学の奥の深さは侮れません。


占い師になってはじめて恵まれた環境だったと気がつきました。
秋田県生まれなのに大阪にいる理由は、大阪で占い師になる事だったのでしょうか?
きっともっと時間が経ったときに本当の事が分かるのでしょうね・・・。
占いRays銀河玲
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