伊勢神宮/参拝方法や参拝順路・片参りについてなど
ルーツを知りたくて産土神社を調べ
「神明宮」だと分かった時から
産土神社と繋いで下さる神社を探し
御霊神社にたどり着いてお参りし…
いつか必ず岩手県の神明宮に伺うにしても
その源となっている伊勢神宮に
春には参拝すると決めていたので
少しずつ計画を立てて行って来ました
どうせ参拝するなら
出来る限り調べるのがわたし流
今回は調べ概ありましたともw
なので、まとめるのに時間がかかり
ようやくアップできました~
習わしといわれているものから
スピリチュアル寄りの方々の正論まで
あまりにも沢山の持論に驚いた
とりあえず私のお参り話は後にまわし
お参り順路や伊勢神宮あるあるなど…
調べた分まとめる事にします
先ずは、お伊勢参りをするなら
夫婦岩で有名な「二見輿玉神社」参り
「外宮」を参り「内宮」へ参る説
この説を正しいとするのは
二見輿玉神社にある
天照大神がお隠れになった天の岩屋に
現在は外宮の「豊受大神」が祀られてて
古来は伊勢神宮に参拝する前や
祭典に奉仕する前には
二見興玉神社のある二見浦で
禊を行う習わしがあったという所らしい
「外宮」から「内宮」へ参拝するという
記事のなかで気になったのが
古来から、天皇陛下をはじめ皇族方が
外宮から内宮へお参りされる習わしの記事
一般の参拝者と神官や皇族とは
参拝する場所(エリア)や
お参りの作法も違っていると思うのに
どうしてそれを正しいとしたのか不思議…
そして…どちらか一方だけの参拝を
「片参り(かたまいり)」などと言い
さも礼儀に欠ける不敬な行いとか
悪いことが起きる、縁起が悪いとする説は
呪いみたいでビビらされた…
古来からの神社の儀式を準える正確さを
追及している風でも
車を使って外宮と内宮を移動している時点で
もう古来とか意味がわからない…
「外宮→内宮」両方を参拝するべきと
唱える方々が沢山いる一方で
実際ツアーなどで神宮を訪れる参拝者は
「内宮」のみの参拝者が圧倒的に多いみたい
近年の外宮と内宮の参拝者の数を比較すると
平成28年・外宮 約290万:内宮 約570万
平成29年・外宮 約300万:内宮 約589万
平成30年・外宮 約290万:内宮 約570万
内宮が約2倍の参拝者になり…約2倍が片参り
更に二見浦で身を清めるのが必須というのに
二見興玉神社の参拝者は外宮よりも少なく
多くの方が無視してるってことになるよ…
二見輿玉神社→外宮→内宮参拝とは
また少し意味合いが違うかも知れないけど
片参り説に伊勢に絡むものをいくつか↓
「お伊勢参らばお多度もかけよ
お多度かけねば片参り」多度大社
「伊勢に参らばお多賀に参れ
お多賀参らねば片参り」多賀大社
「お伊勢参らば朝熊を駆けよ
朝熊駆けねば片参り」金剛證寺
「伊勢に七度、熊野に三度
どちら欠けても片参り」熊野三山
神社の神威に託けたこじつけからの
キャッチフレーズ みたいなものが
いつしかルールになった可能性は高いらしい
因みに16時以降参拝してはならない説は
大昔の生活習慣の名残なんだそうな
他には、氏神さまや鎮守さま、産土さまに
「伊勢神宮へ行ってきます」と
旅の安全祈願をしてから伊勢神宮へ向かう説
更に‥外宮・内宮共に
「必ず正宮からお参りして下さい」と
自信満々、断定的に書いている人もいて
でた「また呪い」ってうけたw
ツアー参加の人の面白エピソードで
外宮はバスの中から手を合わせただけとか
若者の中には、おかげ横丁だけ行って
神宮そのものは参拝しないとかw
「え~」って思うんだけど
それらより片参りが不敬なのか?と
苦笑しちゃいました
こうなってくると
知らない人の記事や噂話レベルの知識より
神宮のホームページを調べるべきかも
そこで神宮のホームページを調べると
境内での作法や参拝のマナーを見つけた
外宮は左側通行、内宮は右側通行
神域内禁煙、タバコは喫煙所で
神域内で飲食を遠慮し水分補給は休憩所で
ペットを連れてのお参りはNGなので
ペットは入口の衛士見張所へ預ける等…
確かに…
神社での一般的な作法やマナーは守りたい
更に調べていると…ありましたよ!
古来より内宮神のお食事を司る外宮神を参拝し
内宮で神事が行われてきたため
外宮から参拝するようになったと…
でも…本当はどうなんだろう…モヤっとする
そこで伊勢神宮に直接問い合わせてみた
「内宮だけの参拝は片参りで不敬という
噂や記事を目にして不安で連絡しました」
“ 外宮と内宮合わせて神宮なので
両宮共にご参拝頂ければよいのですが
内宮のみ参拝される方もいらっしゃいますし
そんな事で不敬などということはありません
この度、外宮の参拝が難しい場合は
次会に外宮への参拝もお考えください ”
めちゃくちゃ丁寧に教えて下さいました
ここまで書いてきましたが
まだ色々とあるので次回に続きます…
いつもありがとう銀河玲より愛と感謝を込めて
世界が平和でありますように
御霊神社
産土神社の探し方ⅰ&ⅱ産土神を探した理由&
産土神を探した経緯で産土神が“天照大御神”と知り
産土神が主祀神の近くの神社を調べ
大阪府大阪市中央区淡路町4-4-3の神社
靭公園に近い“御霊神社”へお参りしてきました
この神社の裏側がジョギングコースなので
場所はボンヤリと知っていましたが
都会の真ん中の立派な鳥居に驚きました
境内に足を踏み入れると、清々しい感覚がして
不思議と心地よかったです
江戸初期より代々襲名されていた鋳物師
藤原正次により建てられた青銅の狛犬さんは
石造りのとは一味違い素敵でした
本殿へ向かう途中、右手側に位置する東宮には
皇大神宮、恵比須神社、猿田彦神社、東宮十二社が
祀られています
こちらの神社は古来、靭公園辺りに
天照大御神と津布良彦神と津布良姫命
(旧摂津国津村郷の産土神 )を圓神祠にお祀りし
信仰の中心になっていました
参考)旧摂津国津村郷
大阪市の船場、愛日、中之島、土佐堀、江戸堀、
京町堀、靭、阿波堀、阿波座、薩摩堀及び立売堀、
長掘の西部、南北堀江の西部等
靭公園に行ったことがある人は
交番の側の楠永神社を知ってると思うけど
1594年に因幡鹿野藩主の亀井茲矩が
船場の自邸敷地の一部を寄進し、
靭公園辺りから現在の場所に移動するまでは
この神社の境内にあったみたい
現在地に鎮座する時に
ご神木の楠と“楠永神社”を靭公園に残し
境内に祀られた応神天皇と源正霊神を合祀して
御霊神社と名前を変えたようです
1884年人形浄瑠璃の文楽座が開設され
近世文楽の黄金期と呼ばれるほど賑わったものの
文楽座の火事や大阪大空襲で焼失しました
この辺りは今宮戎と被るけど
1957年に現在の社殿に再興されたんだって
空襲で全てが焼けたその後に
唯一再生した楠が“肌まもりの木”として祀られてます
拝むと肌をきれいにしてくれるんだって
靭公園の楠永神社のご神木の楠は
樹齢300年らしいから、樹木って凄いよね
御霊神社の境内には、本殿、東宮に加え、
末社の松の木神社と大黒社があります
そして、この神社の不思議な所になりますが
南鳥居がビルの前に建ってるw
はじめてこの状態を目にしたときは
こうしてまで残したかったんだ…と驚きました
江戸時代までの神仏習合の時代には
「宝城寺」と言う神宮寺が併設されていたので
いまよりずっと広い境内だったらしく
明治時代の神仏分離令によって
お寺の敷地が切り離された時の名残なんだって
石碑や石灯篭なども見て回った後
おみくじを引き、お守りを授与して頂いきました
おみくじの内容にちょっとビックリしたかも
「落胆は一切禁物、
自分を何よりも高く信ずること
はやる心を抑える努力が肝心、
仕合せはそこまで来てゐる」
実は産土神になる“天照大御神”に
ちょっとしたお願い事をしたんだけど…
「願い事 ‐不思議な助け現る己を信ぜよ」
神様からお返事を頂いたように感じたので
結ばずにお守りにします
建物が当時のままでないのは残念だけど
歴史のある神社なのは痛いほど分かりました
更に、近松門左衛門の「曽根崎心中」の冒頭で
お初が三十三所の観音を巡礼する
大阪三十三所観音めぐりの
第三十三番札になるんだとか
初めて伺ったので正面の鳥居からお参りしたけど
西側に小さな出入り口があるので
次からはここを通ってお参りさせて頂きます
いつもありがとう銀河玲より愛と感謝を込めて
世界が平和でありますように