御霊神社

産土神社の探し方ⅰⅱ産土神を探した理由
産土神を探した経緯で産土神が“天照大御神”と知り  
 
産土神が主祀神の近くの神社を調べ
大阪府大阪市中央区淡路町4-4-3の神社
靭公園に近い“御霊神社”へお参りしてきました
 
この神社の裏側がジョギングコースなので
場所はボンヤリと知っていましたが  
都会の真ん中の立派な鳥居に驚きました
 

 
境内に足を踏み入れると、清々しい感覚がして
不思議と心地よかったです
 
入口直ぐに、江戸初期より代々襲名されていた鋳物師
藤原正次により1615年に建てられた青銅の狛犬さんは
石造りのとは一味違い素敵でした  
   


本殿へ向かう途中、右手側に位置する東宮には
皇大神宮、恵比須神社、猿田彦神社、東宮十二社が
祀られています
 
こちらの神社は古来、靭公園辺りに
天照大御神と 津布良彦神と津布良姫命
(旧摂津国津村郷の産土神 )を圓神祠にお祀りし
信仰の中心になっていました
 
参考)旧摂津国津村郷
大阪市の船場、愛日、中之島、土佐堀、江戸堀、
京町堀、靭、阿波堀、阿波座、薩摩堀及び立売堀、
長掘の西部、南北堀江の西部等  
 


靭公園に行ったことがある人は
交番の側の楠永神社を知ってると思うけど
  
1594年に因幡鹿野藩主の亀井茲矩が
船場の自邸敷地の一部を寄進し、
靭公園辺りから現在の場所に移動するまでは
この神社の境内にあったみたい
 


現在地に鎮座する時に
ご神木の楠と“楠永神社”を靭公園に残し
境内に祀られた応神天皇と源正霊神を合祀して
御霊神社と名前を変えたようです
 


1884年人形浄瑠璃の文楽座が開設され
近世文楽の黄金期と呼ばれるほど賑わったものの
文楽座の火事や大阪大空襲で焼失しました
 
この辺りは今宮戎と被るけど
1957年に現在の社殿に再興されたんだって
 

  
空襲で全てが焼けたその後に  
唯一再生した楠が“肌まもりの木”として祀られてます
拝むと肌をきれいにしてくれるんだって
 
靭公園の楠永神社のご神木の楠は
樹齢300年らしいから、樹木ってほんとに凄いよね
 

 
御霊神社の境内には、本殿、東宮に加え、
末社の松の木神社と大黒社があります
 
そして、この神社の不思議な所になりますが
南鳥居がビルの前に建ってるw
  


はじめてこの状態を目にしたときは
こうしてまで残したかったんだ…と驚きました

江戸時代までの神仏習合の時代には
「宝城寺」と言う神宮寺が併設されていたので
いまよりずっと広い境内だったらしく

明治時代の神仏分離令によって
お寺の敷地が切り離された時の名残なんだって


石碑や石灯篭なども見て回った後
おみくじを引き、お守りを授与して頂いきました

おみくじの内容にちょっとビックリしたかも
 


「落胆は一切禁物、
自分を何よりも高く信ずること
はやる心を抑える努力が肝心、
仕合せはそこまで来てゐる」

実は産土神になる“天照大御神”に
ちょっとしたお願い事をしたんだけど…

「願い事 ‐不思議な助け現る己を信ぜよ」

神様からお返事を頂いたように感じたので
結ばずにお守りにします


建物が当時のままでないのは残念だけど
歴史のある神社なのは痛いほど分かりました
 
更に、近松門左衛門の「曽根崎心中」の冒頭で
お初が三十三所の観音を巡礼する
大阪三十三所観音めぐりの
第三十三番札になるんだとか


初めて伺ったので正面の鳥居からお参りしたけど
西側に小さな出入り口があるので
次からはここを通ってお参りさせて頂きます
 
いつもありがとう銀河玲より愛と感謝を込めて
世界が平和でありますように
   

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